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  • 執筆者の写真sato

03-04 “今津南線”の建設について -補遺-

更新日:2020年10月11日

今津線と水路

 今津線の周辺にはいくつか水路があり、そのうちの一つは今津線と並走する形で存在していた。

 この水路は現在も使われているのか、または暗渠になっているのかまでは定かではないが、その一部は今でも見ることができる。

 国道駅付近に橋の欄干があり、そこには「今津橋」という名称と「大正十五年四月架」という銘板が残されている。「大正十五年四月架」ということは阪神国道の開通に合わせて架けられたことがわかる。

 この橋から北の方を見ると、水路は今津線の鋼製高架橋の下を通っていたことがわかる。

 一方、橋の南側には欄干は無く、親柱のみが残されている。

 ここから地図にあるような水路(跡)を辿ることはできなかった。


 

 1995(平成7)年に終着駅の今津駅が高架駅となった際に、国道駅~今津駅間の一部にコンクリートラーメン高架橋が建設された。その高架線の下にある津門集会所には橋の親柱が並べられている。

 これらの親柱は恐らくこの周辺にあった橋のもので、これらの橋は架け替えられたのではなく、水路が無くなったために撤去されたと思われる。逆を返せば、このあたり一帯にはこれらの橋を必要とするほどの水路があった痕跡と考えることができる。


 

 ところで、上の今津橋と津門集会所の親柱を比較すると、同じ親柱でもデザインが異なることがわかる。津門集会所の親柱のほとんどは1930(昭和5)年に架けられたものなので、これらは時代によるもの、または橋を架けた事業者の違いによるものと推測されるが、この「直方体の上に半球」の門柱は京都市内でも見ることができるため、前者の可能性が高いと考えられる。このデザインにモダン建築の隆盛に影響を受けた可能性を考えているが、今は推測の域を出ない。

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