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  • 執筆者の写真sato

04-05 戦前の東京における鋼製ラーメン橋およびラーメン橋脚の分布について

 東京の鋼製ラーメン橋・ラーメン橋脚を見に回った時、地域が限定的な感じを受けた。

 そこで、その分布の特徴について考察してみる。

1.中央線の鉄道工事史

 1926(大正15)年の新屋敷架道橋と飯田橋通架道橋、1932(昭和7)年の新水道橋架道橋はいずれも中央線の架道橋であり、また、同じく1932(昭和7)年の秋葉原駅構内の乗越こ線線路橋が総武中央線であるように、鋼製ラーメン構造物はおよそ中央線系統に沿って分布しているように見える。それらが建設された年代に着目すると、1926(大正15)年と1932(昭和7)年とに分かれていることがわかるが、それぞれの年代で中央線系統の改修工事が施工されている。

①1926(大正15)年12月~1929(昭和4年)3月

 飯田橋~中野間 線路増設

 関東大震災の復興資材の砂利等の輸送に応じるべく、飯田橋~中野間に複線を増設して電車線と汽車線を分離した。この時に水道橋駅を震災復旧させた他、飯田町駅と牛込駅を統合して飯田橋駅が新設された。この工事の時に新屋敷架道橋と飯田橋通架道橋がそれぞれ架けられたことになる。

②1931(昭和6)年2月~1932(昭和7)年6月

 御茶ノ水・両国間高架線 新設

 中央線と総武線を連絡させるのと同時に、山手線・京浜東北線に乗継連絡をさせるために複線3.6kmの高架線が新設された。戦前の東京において最後発の新設高架線となり、日本初の鉄道用ランガー橋の隅田川橋梁、鋼鈑プレートガーダー桁の鉄道橋で当時最長の昭和橋架道橋、日本初の複線式ブレーズドリブタイドアーチ橋の松住町架道橋など、当時の最新鉄道技術が投入された。秋葉原駅構内の乗越こ線線路橋や神田川橋梁のラーメン橋脚といった鋼製ラーメン構造も当時としては新しい技術の一つであったと考えられる。

③1931(昭和6)年8月~1933(昭和8)年9月

 中央線急行電車運転設備 増設

 上記の総武線電車の乗入の他、中央線の通勤輸送の混雑緩和や運転時分の短縮のため、御茶ノ水~飯田橋間に複線を増設して御茶ノ水~中野間を複々線化とし、急行電車(中央快速)運転を開始した。この増設工事で鋼製ラーメン構造の水道橋架道橋が新設された。

 このように、1926(大正15)年から1932(昭和7)年の間に大規模な線路の新設・増設が行なわれたのが中央線系統であったために、鋼製ラーメン橋・ラーメン橋脚の投入が結果的に集中したと思われる。

2.鋼製ラーメン橋と地質

 不静定構造物であるラーメン橋は、良好な地盤上に建設された場合に一般的に十分耐震的であるとされるため、分布の理由に地質の可能性も考えられた。そこでラーメン構造物の分布図に、山手線内側の関東ローム層の広がりを重ねてみた。

 山手線内側の地質図を参考としたため限定的ではあるが、地質図を見てみると、中央線は水道橋駅周辺以外で表層が関東ローム層の台地を通っており、また、他のラーメン橋・ラーメン橋脚の橋の分布を辿った場合においても、そのほとんどはやはり関東ローム層の台地に点在しているらしいことがわかった。関東ローム層は掘削などで崩さなければ堅牢な地質であるため、鋼製ラーメン構造物もそれらの地質に沿って建設されたと思われる。

 また、関東ローム層の台地ではない水道橋駅周辺や秋葉原駅周辺にも、水道橋架道橋や乗越こ線線路橋(秋葉原駅構内)があるが、どちらも7~8連の鋼製ラーメン構造であり、同じ構造で比べた時にコンクリートより軽量である利点から採用されたとも考えられる。

 一方、前に見た鋼製ラーメン橋脚は、主に関西圏に分布している点、暗渠や河川跡といった地盤の悪い場所に積極的に建設された点が、東京の鋼製ラーメン構造の分布とは対照的に見える。これはやはり建設時期の違いと思われ、東京圏より普及が遅かった関西圏の方が解析・技術が進んでいたと考えられるのである。

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